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BIOGRAPHY

東京生まれ育ち、東京在住

最初に感動して涙した絵画は、ピーテル・パウル・ルーベンス「四大陸(楽園の四つの河)」

油彩画を描きたいと思ったきっかけの絵画は、クロード・モネ「アルジャンテュイユの画家の家」16歳の時

幼少期から家族と行った登山や旅を通して自然と景色がいつも自分の内にあった。

同時に母から書道の手解きを受けたことが後に筆を使って描くことにつながっている。

子供時代は、折紙やあやとり、縫製、編み物を通して、色で遊ぶことと創ることで毎日を過ごしていた。絵本、レコードジャケットやポスターのデザイン、歌詞の情景を絵で表現することも好きだった。

武蔵野美術大学短期大学部空間演出デザイン学科ディスプレイ専攻に入学後、平面デザインの興味から設計の分野へ視野が広がる。

都会的なデザインが主流だった1990年頃のバブル終盤期の日本、流行とは対照的に原始的で土着性のあるデザインに惹かれていた。登山や旅をして出逢った人との交流を文章、スケッチ、写真で人間の内面的な部分を表現していた。

卒業後は、ディスプレイ専攻で学んだ設計と自然を組み合わせた自然環境調査と公園緑地の調査設計の仕事に携わる。

 

絵画表現を学ぶために武蔵野美術学園油彩科の授業に参加し、セザンヌ、ゴーキー、ドスタールなどに関わる理論を元にした絵画指導を受ける。

クラスの作品課題をきっかけに、バーゼリッツ、デ・クーニング、カレル・アペル、アレシンスキー、ヨルン、リントシュトレーム、コンスタン、デュビュッフェ、フォートリエ、クレメンテなどの画家やCoBrA芸術運動を知り、人間をモチーフにした絵画表現に興味を持つ。

CoBrA芸術運動に、閉塞感を感じていた日本の現代社会の風潮と人間の感情や内的心理、影響を受けていた原始美術との関係を感じて、自分の芸術表現として現代にも繋げることができるのではと考える。 

その後も建設業の設計業務に関わり、社会で様々な場面を体験することで、日本と世界の歴史の流れと、社会に影響される人と人の魂の相互関係、心理的側面もモチーフに加わり、社会や人間を取り巻く根源である自然と人間の関わり、人の原初的な感情や人の魂の行き交う様を、人間本来の力を表現することをテーマに作品の制作を続けている。

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